五代友厚~大阪の経済発展に貢献した薩摩藩士(五代才助)


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五代友厚(ごだいともあつ)は薩摩藩士・記録奉行の五代直左衛門秀尭の次男として、1836年12月26日に薩摩国鹿児島城下の城谷で生まれた。名は友厚、通称徳助・才助、号は松陰。
母は本田氏の娘。

幼少の頃から薩摩の徹底した教育をうけ、8歳のときからは児童院の学塾に通い、12歳からは聖堂ににて文武両道を学んだ。
14歳のとき、琉球公益係を兼務していた父から、奇妙な地図を燃せてもらったと言う。
これは薩摩藩主・島津斉興がポルトガル人から入手した世界地図であり、父からこの世界地図の複写をするように言われたと言う。
2部制作すると1部は藩主に献上し、残りの1部で地球儀を作って、生涯身近なところに置いたとされている。
そして、藩主に対して、他藩に先駆けて汽船を購入し、留学生を送る事などを建白している。

1851年、元服すると五代才助と名乗る。

1854年にはペリー提督が率いる黒船来航と、激動の時代であり「男児志を立てるは、まさにこのときにあり」との記述も見られ、兄は鎖国を説いたが、五代友厚は開国こそ進む道と確信している。

早くから頭角を現し1857年には郡方書役(農政担当役所の書記官の補助)に命じられて、藩命で長崎へ遊学。
1858年、長崎海軍伝習所に藩伝習生16名の1人として派遣されると勝海舟と知り合い、約3年間、オランダ士官から航海術を学んだ。

なお、奥さまの名は豊子。

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1862年2月、藩より舟奉行副役に任じられると、薩摩藩の汽船購入の為に、徳川幕府が長崎で購入した幕府艦・千歳丸に便乗させてもらい上海に渡航しようとした。
しかし、断られると、オランダ語通訳の岩瀬弥四郎のはからいで、水夫として千歳丸に乗船できたと言う。

日本人が正式に中国を訪れるのは2世紀ぶりで、船長・沼間平六郎、幕府勘定方の根立助七郎以下、幕府役人のほか、長州藩・高杉晋作、佐賀藩・中牟田倉之助、大村藩の峰源助(峰源蔵)、長崎商人など約50名が上海へ向かったが、実際の操船はイギリス人を中心とした、外国人船員16人が担当したと言う。
5月27日に長崎を出港すると、6月3日に上海に入港。
アヘン戦争に敗れ、民衆の生活の貧しさなどを目のあたりにしたなか、ドイツ船を買うと長崎へ回航した。
そして、天祐丸と命名れさた藩船の船長となり、イギリス商人・グラバーとも交流を持った。

1863年7月、生麦事件によって勃発することになった薩英戦争では、欧州列強の武力を目の当たりにし、独断で避難させた3隻の藩船はイギリスに拿捕され、松木洪庵(寺島宗則)と共にイギリス海軍の捕虜となる。
その後、横浜にて通訳・清水卯三郎の助けを借りて、小舟でイギリス艦から脱出して江戸にはいった。

薩摩では潔く切腹せずに、イギリスの捕虜となったことを悪く言われて、命も狙われた為、すぐに薩摩に帰国できず、しばらく熊谷にて潜伏生活をした。
その後、イギリスと長崎で交渉が行われると聞くと、死を顧みず長崎に向かい、長崎に滞在していた薩摩藩士・野村盛秀に、開国・貿易・留学生派遣を説いた。
五代友厚の熱意は藩主・島津斉彬まで届き、野村盛秀の取り成しもあって帰国を許されている。

ヨーロッパ視察

そして、薩摩藩はイギリスへ視察団を極秘裏に送り、武器も購入する計画となった。
1865年、五代友厚、寺島宗則、森有礼ら14名+付き添い5名は薩摩藩遣英使節団として、グラバー商会が手配した蒸気船・オースタライエン号にて、3月22日早朝に薩摩・羽島沖からヨーロッパへ旅立った。
5月にイギリスのサザンプトン港に到着すると、即日、ロンドンに向かうと留学生受け入れ交渉は松木弘安に任せ、ロンドン銀行、商品取引所、商工会議所などを見学。また、騎兵銃50、大砲隊小銃200、常短小銃200、短銃55、小銃2300、元込小銃12、双眼鏡4、その他洋書などを購入した。
ベルギー・ブリュッセルでは、7月にベルギー人のモンブランと貿易商社設立の契約に調印した。
薩摩藩の殖産興業のための技師派遣だけでなく、大坂を日本の商都にする計画も含まれた壮大なものであったが、諸要因により実現には至らなかった。
しかし、この時の契約や商業発展の為にすべき事などの経験が、のちの五代友厚の手腕に大きな影響を与えることになった。
9月には、プロシアからオランダを経由してフランスへと赴いている。
そして、1866年2月に薩摩の山川港に帰国した。
直ちに、御納戸奉行の勝手方御用席外国掛に任ぜられ、藩の貿易を担った。

薩長同盟では高杉晋作、坂本竜馬、桂小五郎井上聞多らとも交流したようだが、1867年1月 小松帯刀やグラバー商会と共に、長崎の小菅に「小菅修船場」と言うドックを建設開始。のちに三菱重工業長崎造船所の礎となった
5月には、坂本龍馬の「いろは丸沈没事故」をめぐり、土佐藩と紀州藩の交渉を仲介している。

徳川慶喜が大政奉還し、幕府が崩壊したあとの1868年、戊辰戦争では西郷隆盛大久保利通らと共に活躍。
五代友厚が中心になって購入した西洋式武器が勝利に貢献したのは言うまでもない。
下記は鹿児島にある五代友厚の銅像。

明治新政府が樹立すると参与職外国事務掛となった。
この頃の外国人は、日本人は無知だと不正行為を働くものが横行したため、断固たる態度で対処したと言う。
2月には外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、堺妙国寺事件(フランス海軍襲撃と堺守備隊の狙撃)を調停。
また、イギリス公使パークス襲撃事件などの外交処理にあたった。
5月、外国権判事と大阪府権判事に任命され、初代大阪税関長にも就任。
9月、大阪府判事に任ぜられ、大阪府政を担当し、大阪に造幣寮(現・大阪造幣局)を誘致し、グラバー商会を通じて、香港造幣局の機械一式を60000両で購入する契約を結んでいる。

明治2年(1869年)5月、会計官権判事として横浜に転勤したが、、薩摩藩武断派の非難を受け、2ヶ月で退官。僅か33歳で下野した。

大阪の経済復興に貢献

その後は、民間として手腕を発揮し、本木昌造の協力により日本で初めての英和辞書を刊行。
また硬貨の信用を高める金銀分析所を設立して、造幣寮に品質の高い貨幣材を納入。
その他、紡績業・鉱山業(奈良県天和銅山、福島県半田銀山など)・製塩業・製藍業(朝陽館)など、産業発展に尽力した。

依然、薩長藩閥政府との結びつきは強く、明治8年(1875年)1月~2月、五代友厚の斡旋により、大久保利通・木戸孝允板垣退助らによる、今後の政府の方針を協議した大阪会議が開催されている。そのため五代友厚は「政商」とも呼ばれた

明治に入ってからの大阪は、銀主体の商取引の廃止・藩債の整理によって、従来の富豪や両替商は軒並み倒産しており、大阪経済は低迷していたため、大阪経済復活にも力を注いで行く事となる。

明治11年(1878年)8月には、大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)を設立し、9月には大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)設立、初代会頭に就任した。

明治12年(1879年)11月、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設。
明治14年(1881年)3月、大阪青銅会社(住友金属工業)設立。6月、関西貿易社設立。
しかし、この頃、北海道開拓の責任者であった黒田清隆と共に、北海道開拓を手掛けようとしたが、開拓使官有物払下げ事件となり、不正取引だと批判を浴びている。

明治15年(1882年)7月、共同運輸会社設立。12月、神戸桟橋会社設立(川崎汽船K-LINE)の設立許可を得て、のち1884年11月開業。

明治17年(1884年)5月、五代友厚らの尽力によって大阪商船(旧・大阪商船三井船舶→現・商船三井)が開業。
12月、大阪堺鉄道(南海鉄道)設立。

明治18年(1885年)1月、住所を大阪北中之島1丁目26番地に定め、9月には鹿児島から籍を大阪に移した。
その後、東京にて日本郵船会社を斡旋、勲四等にも叙せられ旭日小綬章を賜った。
しかし、1885年9月25日、糖尿病により、東京の自邸で死去。享年50歳。
葬儀の参列者は4800人。10月2日、阿倍野の墓地に葬られた。

莫大な資産が残ったと紹介したいところだが、遺産は無く高額な借金が残されたと言う。
名実ともに経済発展のために尽くした人生だったと言え、大阪の恩人として大阪証券取引所の前には銅像も建立されている。

五代友厚生誕地

と言う事で、鹿児島にある五代友厚生誕地を訪問して参りました。

五代友厚生誕地がある場所ですが、西郷隆盛や大久保利通の屋敷があった鹿児島城下とは異なり、城山よりも北側の山と山に挟まれた谷「城谷」にあります。

下記の地図ポイント地点が五代友厚生誕地のある場所です。

道路も一部は対面通行が困難な狭い道で駐車禁止であり、駐車場もありませんので、500m東にある市街地のほうのコインパーキングにクルマを止めて歩いて行きました。

城ヶ谷の五代友厚生誕地は現在、ちょっとした公園として整備されていました。

約3500万円かけて最近、整備されたようで、五代友厚の命日である9月25日(2016年)に完成式典が行われたとの事です。
新しい多目的トイレも設置されています。
あさが来たで、五代役を演じたディーン・フジオカさんもビデオメッセージで祝辞を寄せたそうです。

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