小田彦三郎  坂下門外の変 (水戸藩士)


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 小田彦三郎(おだひこさぶろう)は、幕末の水戸藩士で1833年生まれ。名は朝儀。変名は朝田儀助。

 公武合体のため皇女・和宮の降嫁を許可した孝明天皇の退位を、老中・安藤信正らが考えているとの噂を聞いた、水戸浪士・平山兵介らが暗殺を計画。
 小田彦三郎もその一味に加わった。

 最初、決行を1月28日と日程を決めたが、12日に同志の大橋訥菴ら宇都宮側の参加者が捕えられ計画の漏えいが予想されたため、水戸志士を中心に残ったメンバーだけで暗殺を決行することになる。

 1862年1月15日の朝8時頃、折しも雪が降る中、水戸藩浪士・平山兵介と、小田彦三郎、黒沢五郎、高畑総次郎、そして、下野の医師・河野顕三、越後の医師・河本杜太郎ら6名により、坂下門外で老中・安藤信正の行列を襲撃。(坂下門外の変)

 小田彦三郎ら6名全員がその場で斬り討ち取られた。30歳。

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コメント

    • 高田哲哉
    • 2015年 2月 04日

    ご閲覧とコメント、誠にありがとうございます。
    薩摩藩や長州藩と異なり、水戸藩は若い志ある者が起こした「天狗党」に参加した者を処刑して行ったのと、元々水戸藩は幕府よりも朝廷を重んじるようにと、水戸光圀(水戸黄門)が家訓として残していた為、激動の時代の中、天皇の為にと志士もより過激になったのかな?と感じています。
    もし、水戸の多くの志士が命を落とさず、維新まで生きていたら、明治政府にもっと水戸出身の者がいたのだろうと、皆様もお思いになられるかと存じますが、いかがでしょうか?

    • きよひと
    • 2015年 2月 04日

    坂下門外の変で実行したのが水戸藩の浪士だったのは、知っていましたが、実行犯までは知りませんでした。
    今回、初めて知りました。それも知らない水戸藩士ばかりです。
    又、実行犯の6名のうち2名が下野と越後の医師で実行犯に加わっていたのが意外に感じて記事を読ませてもらいました。
    元々、幕末は好きで色んな本やテレビ番組などを見ていますが、知らない事も多々あります。
    水戸藩士は、過激な志士が多いように思います。坂下門外の変や桜田門外の変など。。。
    色々と勉強になります。

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