赤穂浪士【5分でわかる忠臣蔵の物語と忠義】泉岳寺と赤穂浪士の墓


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元禄のAKO47とも言える「赤穂浪士」の討ち入りの日は、旧暦の12月14日です。物語は忠臣蔵とも呼ばれますね。

事の発端は、江戸時代の将軍・徳川綱吉のときです。
毎年お正月になると、天皇の使者である勅使を江戸城でお迎えする儀式があるのですが、その接待役として赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と、伊予吉田藩主・伊達村豊の2名に命が出されました。

接待と言っても朝廷の古き伝統もあり、どのようにお迎えすれば良いかわからないですよね?
そこで、古式風習に詳しい、高家肝煎・吉良上野介(吉良義央)に指導を仰いで、準備をしていくのです。
しかし、浅野内匠頭(浅野長矩)は今回が初めてでは無く2回目でしたので経験はあったはずです。
ただし、小説やドラマでは、吉良上野介が意地悪な指図をして、急に用意する物が変更になったり、追加されたりし、赤穂藩士が駆けずり回ってなんとか用意をすると言う有り様が描かれます。
様式が一部変更になっていた事を吉良上野介が指導しなかったとも、播州赤穂藩は5万石と小藩でしたので財政難で指導料として支払う「賄賂」が前回と同額であったと言います。
もう1人の接待役・伊達村豊より、赤穂藩の方が指導料(賄賂)が少なかったからとも言われていますが、いずれにせよ吉良上野介から意地悪をされたと見て良いでしょう。

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そんな折りの1701年3月14日、さすがに頭に来たのか、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかると言う刃傷(にんじょう)沙汰を起こしました。
お正月の接待なのに3月と言うのは、勅使の到着が遅れていたためで、3月12日から儀式は始まっていました。
場所は有名な江戸城本丸の松の廊下(松之大廊下)です。

吉良上野介は背中と額を斬りつけられましたが、たまたま吉良と打ち合わせをしていた留守居番・梶川頼照が浅野内匠頭を取り押さえました。
吉良上野介の傷は浅く命に別状はありませんでしたが「額」に刀傷が残りました。

その後、目付・大久保忠鎮らの取り調べを受けた2人ですが、吉良上野介は「恨みを買うような覚えはなく、朝の内匠頭は乱心したのでは」と答えたと言います。
浅野内匠頭は個人的遺恨があって刃傷に及んだと言いましたが、詳しい動機や経緯は記録が残っていません。
なお、江戸城内(殿中)で刀を抜く事は禁止されていた事項であり、しかも、勅使を迎える儀式の中でも、最も大切な日に刃傷に及んだと言う事もあり、柳沢吉保ら幕閣は浅野内匠頭に対して即日切腹の命を下しました。
預けられていた奏者番の陸奥一関藩主・田村建顕の屋敷の庭先で、幕府検視役立ち合いのもと、幕府徒目付・磯田武大夫の介錯で、浅野内匠頭は切腹して果てました。享年35。
松の廊下で刃傷に及んだのが朝11時40分頃とされており、切腹したのは18時15分頃とされています。
詳しい取り調べが時間を掛けて充分に行われず、しかも大名でもある身分の者が「庭先」で切腹となったのには、さすがの赤穂藩士も驚いたわけです。

本来であればこのようなトラブルの時には「喧嘩両成敗」と言って、双方に同じ罪を問うのが通例だったのですが、幕府は吉良上野介にはお咎めなしとしました。
その後、吉良上野介は御役御免願いを提出し、本所の屋敷に移ると、のちには隠居しました。

赤穂浅野家に下されたのは「お家断絶」です。
赤穂城の藩士は、城を明け渡さずに徹底抗戦を主張する篭城派と、おとなしく開城すべきとする恭順派にて激しい議論となります。

こうした中、赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助(大石内蔵助良雄)は、篭城殉死を希望した藩士らから義盟の「血判書」を受け取り、赤穂城を明け渡します。
その上で、浅野内匠頭の弟・浅野大学(浅野長広)を擁立して浅野家再興を目指し、あわせて吉良上野介の処分を徳川幕府に求めることで藩論をまとめました。
そして、4月19日に赤穂城を明け渡し、残務処理を終えると大石内蔵助も6月25日に赤穂を去りました。

その後、大石内蔵助に従った赤穂浪士らは浅野家再興のために活動しますが、1702年7月8日、浅野大学は広島藩お預かり処分となり、赤穂藩再興の望みは絶たれます。
そして、7月28日、大石内蔵助らは吉良上野介を討つことに決し、同志たちに対して江戸に集まるよう知らせます。

しかし、赤穂浪士は浪士ですので収入が無く脱落する者や、やはり命が惜しくなった者など脱落者が相次ぎましたが、京都の山科から江戸に向かった大石内蔵助は10月26日には川崎平間村の軽部五兵衛宅に滞在し、最初の訓令を発しました。
そして江戸に入ると、日本橋近くの石町三丁目の小山屋に居所を構え、吉良邸の探索を初め、屋敷の絵図面を入手します。
その後、吉良邸にて茶会が開かれ、確かに吉良上野介が滞在すると言う確証を得て討入り日を決定し、同志たちを深川八幡の茶屋に集結させます。
討入りの人員配置、武器、装束、所持品、合言葉や吉良の首の処置などを細かく定めると、1702年12月15日未明、雪が舞う冬の江戸に、火消装束を着た47人の赤穂浪士は吉良邸に討ち入りました。

吉良上野介側は、討入りを予測して浪人らを雇っていましたが、赤穂浪士らはうまく部屋に閉じ込めたり、寝起きでなかなか体が動かない寒い早朝を狙っています。
このように用意周到であったと言えますが、実際には吉良邸の屋敷の中で2時間近くの激闘となりました。
なかなか、見つからなかった吉良上野介が、炭小屋に隠れているのを発見すると討ち取ることに成功したのです。
吉良上野介、享年62。

吉良上野介の首は、赤穂浪士の行列によって泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に捧げられた後、僧侶によって吉良邸に戻されたと言います。
忠義を貫き仇討ちを果たした赤穂浪士の行列には、江戸の庶民も拍手喝采だったとされています。

寺坂吉右衛門は密命を与えられて去りましたが、残り46名の赤穂浪士らは自首し、まずは諸藩の屋敷にお預けとなりました。

赤穂浪士らの処分は幕府内部で様々な意見が出ましたが、武士道の鏡であり「あっぱれ」と言えども、幕府を恐れない所業として、翌年1703年の2月3日に「切腹」の命が下されました。
一方で幕府は、吉良家当主・吉良義周(吉良上野介の養子)の領地没収と信州配流処分も決めました。

翌日の夕方、46名の遺骸は泉岳寺の主君・浅野内匠頭の墓の周りに埋葬されたと言います。

なお、赤穂浪士の遺児らも遠島などの処分(15歳未満の子は15歳になるまで執行猶予がついていた)となったため、浅野内匠頭の正室・瑤泉院(ようぜいいん)が遺児の赦免に尽くしたと言います。
1709年に徳川綱吉が病死すると、6代将軍・徳川家宣は「生類憐れみの令」を廃止しただけでなく、赤穂義士遺児の特赦を出家を条件に行いました。瑶泉院が、流人を出家させる条件にて恩赦をと願い出たと云う説もある。

浅野大学長広も、500石で寄合旗本へ復帰が許され、大名ではなくなりましたが、赤穂浅野家の再興も叶っています。

また、大内内蔵助が離縁した妻・りくが、当時妊娠しており、実家で生んだ子である3男・大石大三郎は、1773年に広島藩浅野本家に1500石と言う高禄で召抱えられています。


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泉岳寺の赤穂義士墓

東京・高輪の泉岳寺には、浅野長矩墓と赤穂義士墓(いずれも国指定史跡)があります。
各写真はクリックすると拡大します。

下記は、赤穂義士が本懐を遂げたあと、泉岳寺にやってきた際に、吉良上野介の首を洗った「首洗い井戸」です。

下記は浅野内匠頭が田村右京大夫の屋敷の庭先で切腹したときに、血がかかったと伝えられる石と梅です。

下記は赤穂藩主・浅野内匠頭の墓です。
1702年12月14日、赤穂浪士は吉良屋敷に押し入ると吉良の首級を上げ、この墓前にまでやってきて報告しました。

浅野内匠頭の墓の手前に、瑤泉院の墓もありました。立派な墓です。

泉岳寺の赤穂義士墓地は、下記のような感じで配置されています。
一般的には「四十七士」と呼ばれますが、泉岳寺の赤穂義士墓地には、討入り以前に自害した萱野重実(萱野三平)の供養墓を含めて48基あります。

下記は、大石内蔵助の墓です。
丁重にお参りさせて頂きました。 

下記は、享年16歳で切腹となった大石主税(大石良金)の墓と13回忌の碑です。

他の義士の墓の写真を2枚と、墓地入口の写真を連続で。

泉岳寺へのアクセス・行き方ですが、下記の地図ポイント地点が泉岳寺の入口です。
都営地下鉄・浅草線「泉岳寺駅」のA2出口から徒歩3分と便利です。
泉岳寺の開門時間は朝7時で、4/1~9/30が18時に閉門、10/1~3/31は17時に閉門で、見学所要時間は約20分+有料の赤穂義士記念館の時間といったところです。
駐車場はありませんので、コインパーキング利用となります。

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