西郷どんの魅力や人気の秘密は?なぜ西郷隆盛はみんなから慕われるのか?


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日本史上、最も多くの日本人から好かれたと言っても良い「西郷どん」こと西郷隆盛
そんな西郷隆盛(西郷吉之介)の人気の秘密を探ってみました。

子供の頃から体格が良く、腕っぷしも強かった西郷隆盛は、仲間を大切にしたと言います。
別の少年グループとのケンカの際、復讐をしてきた相手に後ろから斬られたため、右腕が完全に曲がらないと言う後遺症を負います。

そのため、学問で身を立てるべく猛勉強する中、父・母も他界したため、西郷家を1人で支えました。
やがてペリー提督が来航し、日本が開国か攘夷かを迫られると、藩主・島津斉彬に提出した意見書が認められて、下級武士から出世の道を自ら切り開きます。

ここまでは、苦労するなか学問で身を立てたと言え、幕末に活躍した他の志士と同じで、特段、好かれる大きな要因とは考えられません。
しかし、西郷どん(西郷隆盛)はここからが違いました。

その後、島津斉彬が急死すると、あとを追って殉死しようとします。自分を取り立ててくれた忠義を感じていたのでしょうが、この行動は他の幕末志士には余り見られません。
この時は、京都・清水寺の僧侶・月照に「生きて、斉彬公の遺志を継ぐように」と諭され思い留まりました。
しかし、尊王攘夷の僧であった月照は、幕府から追及を受けることになります。
そんな月照を救うことが不可能と悟った西郷隆盛は、一緒に海に身投げをしました。
これも友を裏切る事が出来ないと言う気持ちの表れだったのでしょうが、このように人生において2回も自殺を図っています。
この時は、平野国臣に助けられます。

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そして、薩摩藩は、幕府からの追及から逃れさせる為、西郷隆盛を奄美大島へと隠しました。
これは処分を受けたとする見方もできますが、簡単に言うと失脚したと言っても良いでしょう。
3年ほど奄美大島で過ごした後、帰郷を許されます。
しかし、薩摩藩の実権を握っていた島津久光と、西郷隆盛は折りあいが悪いのです。
暴言を吐いたなどしたため、2度目の島流しとなり、更に徳之島を経て沖永良部島へと移されました。

幕末に活躍した志士には、吉田松陰のように獄に繋がれたり、高杉晋作桂小五郎のように命を狙われて「逃亡」した者はいますが、島流しになる、しかも2回も経験したのは西郷隆盛くらいと言えるでしょう。
非常に特異な人生を送る事になったと言えます。

こんな逆境にも耐え、希にみる経験を経て、その後、坂本龍馬の仲介により、長州藩の桂小五郎と「薩長同盟」を結び、戊辰戦争で活躍します。
勝海舟との交渉では温情も見せ、江戸城の無血開城を認め、総攻撃を中止して江戸の街を救いました。
上野の山に彰義隊が籠って交戦となった際には、旧幕府の反逆だと因縁をつける事もできましたが、あくまで幕府の意にそむいた浪士連中だとしています。
すなわち、歯向かってきた敵には、やむを得ず駆逐しますが、それ以外の部分では、敵に対しても温情的な対応をしており、江戸の庶民からも慕われる要因になったと言えます。

これらのように政治的解決能力に優れていたと言う事だけでなく、決して自分が出世する為でもなく、器量の大きい、太っ腹であることを物語っており、まさに人徳者と言えるのではないでしょうか?

そして、徳川幕府を倒すと言う大役を果たしましたが「おいどんは、よかでごわす」と、新政府では威張る事も無く、贅沢もしませんでした。

当時、月に500円もの高給をもらった参議・西郷隆盛でしたが、日本橋小網町の住まいは賃貸で3円。
生活費は書生たちの分も含めて15円。
残りは大蔵省へ返却を申し出たと言います。
しかし、認めてもらえず、皇居の修理費用、書生・近衛兵らの学習費や小遣いに残金を充てました。
食べ物だけは昔から「たくさん」食べたと言いますが・・。

また、西郷どんは大変な愛犬家で、犬は20匹飼っていたと言います。
これは趣味であった狩猟のため、犬を飼っていたと言いますが、犬にも優しく接し、犬からも愛されていた西郷隆盛だったのでしょう。

明治新政府最大の懸念であった「廃藩置県」において、もし陸軍を率いていた西郷隆盛が損得勘定で認めなければ、大きな暴動に発展していたかも知れません。
この時、西郷隆盛は私利私欲では無く日本の将来像を見据えて、廃藩置県に協力しました。

西郷どん(西郷隆盛)の座右の銘は「敬天愛人」です。
意味は、天を敬って、人を愛すると言う事です。
自分のことを慕ってくる者がいる限りは、その人たちのために尽くし、それで死んでも本望。
それが自らへの天命であるという生き方を貫いたのだと感じます。

わしの体は、オマエたちに差し上げもんそ
西郷隆盛は近代装備を備えた政府軍に勝算はないと分かっていても、西南戦争と言う手段で、新政府のやり方に疑問を呈しました。
この時は、西郷隆盛は武力で訴えるのは間違えであり、それが失敗に終わると分かっていたでしょうが、西郷隆盛を慕って薩摩に集まったら者たちの気持ちを優先したのだと思います。

こうして考えますと、人の失敗を許して人のために生きていたことが分かります。

晋(しん)どん、もう、ここらでよか。

当然、降伏して命乞いをすることもできました。戊辰戦争での立役者ですから、処罰も重いにならない可能性もありました。
しかし、別府晋介の介錯で西郷隆盛は命を絶つ選択をします。
維新の英雄でありながら、逆賊の汚名を自ら背負って、その最後を受け入れたのです。
そして、別府晋介はもちろん、慕っていた約300人の兵も追い腹を斬るなどし全滅しました。

西郷隆盛を慕っていた明治天皇も、西南戦争が迫ると、公務には出てこなくり、乗馬や勉学をも拒否して、奥に籠ると酒で気をまぎらすことが多かったと言います。
死の報がもたらされた際には「西郷を殺せとは言わなかった」と洩らしたとされます。
そして、西南戦争の翌年、明治天皇は追悼歌会を開きます。賊の追悼をするのはかなり異例な事です。
この時、天皇は「西郷の罪過を誹らないで詠ぜよ。唯今回の暴挙のみを論ずるときは、維新の大功を蔽ふことになるから注意せよ」と促したと言います。
そして、明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法発布の大典の際、西郷隆盛の賊名を除き、正三位を追贈されました。

上野にある西郷隆盛の銅像は、逆賊とした政府が建てたものではありません。
宮内省より500円が下賜された他、江戸や全国の市民ら25000人の寄付金により建立されたもので、上野の西郷さんとして100年以上親しまれています。

私利私欲や名誉声望を求めた訳ではなかく、ひたすら人々の為に尽くした英雄・西郷どんを物語るのが、この銅像に現れていると言っても過言では無いと思うのは私だけでしょうか?

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コメント

    • 高田哲哉
    • 2016年 12月 01日

    神宮司龍峰さま、コメントありがとうございます。
    西郷どんは、鹿児島の誇りですね。(^-^)

  1. 神宮司龍峰です。西郷さんを尊敬しています。若くして死んだ西郷さん。鹿児島県の宝です。

    • 高田哲哉
    • 2015年 5月 16日

    いつもコメントありがとうございます。
    もう、ご体調の方はよろしいのですか?
    て解釈が異なりますし、理解するのが結構難しいと言うか、奥が深いですよね。
    古橋懐古館、よいところをお教え頂きました。ありがとうございます。今度、機会がありましたら、訪問してみたいと思います。

    • 寺田 みゆき
    • 2015年 5月 15日

    西郷は、西南の役の時に仙台藩を攻めなかったことに対し恩義を感じた仙台藩士が助っ人をだしているくらいですから奥羽にも優しかったんでしょうね。征韓論を今再度検証してるのだけど、もうちょっと西郷を理解するには時間がいるかもです。
    ところでGW愛知に見えるのならばお教えすればよかった隠れスポットがありまして、それが古橋懐古館というところです。奥地にありますがググってもらえばわかるとおり愛知県になんでこんなものがあるんだろう?というくらいの資料数を誇っています。もし三英傑系の取材の折に行ってみてください。私も夏になる前に再び行く予定です。では♪

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