実際には信仰の一環であることも多かった、前近代日本で多発した「神社仏閣への落書き」


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日本の近代の始まりである明治時代が到来すると、様々な近代型の法律が作られたが、その中には、「神社や寺院に、いたずら(具体的には物を壊したり、落書きしたりすること)をしてはいけない」というような内容のものも、実はあった。当時、各地に発足した出版社から、一種の学習漫画ともいうべき絵入りの新法律説明書が複数出版されているが、その中にも、この場面は多く描かれている。

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ところで「往時の人々、特に明治以前や終戦以前の人々は現代人に比べ神仏を敬う心が強く、『神仏は人間の行いを見ている』と信じていたため、モラルがあった」という意見は根強い。しかし、実際にはこれは結局、当時の種々の記録などからわかる実態とはかけ離れた点が目立つ、ただの「昔は良かった神話」の一つに過ぎないということも、指摘されている。
この「往時の人々は神仏を強く敬ったため、モラルがあった」という言説は、実際には、ただの過去を輝かしいものとして理解したいために作られた神話であるという指摘から推定すると、もしかしたらこの時代には、神社や寺院での物壊しや落書きなどといったいたずらが、実際に多発していた可能性も有り得るのではないか、と筆者は考えたことがある。

その後色々と本などを読んだところ、前近代日本では、神社・寺院での物壊しはともかくとして、「落書き」に関していえば、地方や時代、宗教宗派による差はあるものの、実際に多発していたことがわかった。しかし、この実際に明治以前の日本で多発していた「神社・寺院での落書き」は、必ずしもいたずらではなかった。それどころか、むしろ信仰に基づく行いであるケースも、決して少なくなかった。中には、寺院の責任者的な立場の僧侶が、参拝に訪れた要人に「落書き」を依頼し、快諾してもらったケースさえあるという。

こうした「信仰の実践としての神社・寺院への落書き」は、中世〜近世に盛んであった。結論からいえば、当時は一般に神社・寺院への落書きは、現代でも盛んな絵馬の奉納のような意味合いがあった。これはあくまで筆者の推測の域を出ないが、現代的な形式の絵馬の奉納は、明治初期の「神社・寺院への落書き禁止」の法律の成立により、その代替の祈願法として急速に根付いた可能性も、否定はできない。

中世では、出陣する武将や、戦に負けた側の要人で命を助けられた人々など、ある程度社会的地位の高い人々が、多く落書きを書いた。彼らが、祈りや命を助けられたことへの感謝の言葉を、寺院や神社の壁などに書き付けた例が、現存する落書きや当時の記録などによって伝わっている。

近世に入り江戸時代を迎えると、戦国時代の終焉や、庶民層にも最低限の文字の読み書きが普及してきたこともあり、庶民あるいはそれに近い下級武家の人々による落書きが目立ってくる。

近世はまた、神社や寺院への参詣が、庶民も含め人々の旅の主な目的の一つであった時代でもあるが、事実、落書きをした人々の中には遠くの地方から参詣に訪れた人々も少なくないことが、落書きの署名からもわかっている。更には、江戸時代的な信仰の旅の習俗がまだまだ現役であった1876年に出版された大阪府の新法律説明書に描かれた、寺社への落書きを禁じる箇所の挿絵では、落書きをしている人物は三度笠を被って脚絆にわらじ履きのいでたちであり、明らかに「寺社に参詣する旅人」として描かれている。

近代化による価値観・社会規範の変化によって「悪質ないたずら」とみなされ「犯罪」とされた「前近代の日本で行われていた、神社仏閣への落書き」は、結局実際にはほとんどの場合、悪質ないたずらどころか「神仏に祈りや感謝を伝える」ことだったのであった。

神仏への祈りや感謝を込めた近世の人々の落書きには、ある程度「定型的な表現の型」が存在していたようであり、それに従った文体で書かれた落書きが多い。
これも、こうした前近代の寺院・神社への落書きが「祈りの行為」であったことの証左の一つであるが、面白いことには、そうした決まり文句の中には、短歌形式のものもあったそうである。

<お断り>

現在、文化財への落書きは法律で罰せられる場合がありますので、絵馬に記載する形での奉納をお勧め申し上げます。

【参考文献】
百瀬響『文明開化 失われた風俗』吉川弘文館、2008
三上喜孝『落書きに歴史をよむ』吉川弘文館、2014

(寄稿)木皿さらさら

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せっぱつまりこ(旧・木皿さらさら)

投稿者プロフィール

こちらhttp://www.sougiya.biz/kiji_list.php の自称葬儀ライターで、歴史の中の葬儀ネタを主に書いております。自称「フツーの日本人」によるいわゆる「日本人の感覚」の押し売りには批判的です。「死や葬儀・埋葬」がタブーから解放され、普段から話し合うことができますように。

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