「米英可分」~アメリカとの戦争は避けられたかもしれない?




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1941年12月8日、日本の連合艦隊の機動部隊による真珠湾攻撃によってアメリカとの戦争が始まった。
実は当時、この攻撃はギリギリまで行われるのか未定だった。日米の外交による戦争回避を模索し、それと並行で作戦が進められていたためだ。

日本は外交で戦争回避の道を模索したのだ。

しかし、それよりももっと分かりやすい戦争回避策があった。
それが「米英可分」である。


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アメリカをいわばスルーして、東南アジア進出の障害となるオランダ、イギリスのみと戦うというシナリオが日本にはあったのだ。

何故戦争に至ったのか

当時日本は、朝鮮を併合し、満州の満州帝国という傀儡国家を作り、さらには中華民国との戦闘で中国の奥地にまで進出していた。
これらのあまりに過激な対外進出はアメリカにとって脅威であり、またアメリカが中国に持っている権益を失う恐れがあった。
さらに北部仏印まで進出していた日本が、フランス・ヴィシ―政権の許可の下南部仏印へ進駐を行うとアメリカは態度を硬化、石油の禁輸に踏み切った。

当時石油のほとんどをアメリカから輸入していた日本にとって、特に石油禁輸は国家が立ち行かなくなるほどの一大事だった。

石油を得るにはどうすればいいのか。
そのためには当時大きく分けて3つの道があった。

1つにはアメリカとの交渉だ。
じつは交渉はうまくいきかけ、禁輸も解かれると思われたが、土壇場でアメリカはそれまでの交渉を白紙に戻す。
そして中国からの撤退などの条件を突きつけた、世にいうハルノートが提示された。
やり方はひどかったにせよ、日本が血を流して手に入れた中国の領土をすべて返せというのだ。当時の日本に飲めるはずがない。
またアメリカがそれまでの交渉を土壇場でひっくり返したことで、アメリカは信用できないという空気が政府軍部に漂った。
アメリカとの交渉は、もはや不可能と思われた。

もう1つの道は他から石油を得ることだ。

当時中東は現在のように大量に油田はなく、樺太や満州にもまだまともな油田はない。
となれば東南アジアしかない。しかし、そこにはイギリスとオランダがいた。
イギリスもオランダも強硬で交渉の余地はない。そこで、イギリスとオランダと戦い東南アジアから追い出そうとしたのだ。

しかし大きな問題が存在した。それがアメリカだ。
アメリカは当時フィリピンを領有していた。イギリスたちと戦ったとして、フィリピンを軍事拠点とするアメリカが急に参戦してくれば、日本は対処しようがない。
米海軍に石油を運ぶシーレーンを破壊されれば、日本にまともに石油が入ってこなくなる。
そのためにはどうすればいいか。

それが最後の道、アメリカとの戦争だ。
アメリカが準備を整えて参戦してくる前に、こちらから叩く。アメリカと戦争をするのであれば、この道しかない。
さらに南方資源確保のため、同時に英蘭も叩く。
上手く戦争が運べば南方の資源を得ることができ、アメリカも講和に応じ石油禁輸を解くかもしれないのだ。

こうして、日本は真珠湾攻撃に至るのである。

「米英可分論」と「米英不可分論」

もし日本が東南アジアのイギリス軍と戦争になっても、アメリカは参戦してこないだろうという「米英可分論」は昭和初期ごろからあり、おもに陸軍が唱えていた。
陸軍としては勿論アメリカと戦うなど考えたくない。見据える脅威、敵国はソ連なのだ。

では「米英不可分論」、つまりアメリカが参戦してくるぞというのは誰が唱えたのか。それは海軍だった。
海軍はアメリカを仮想敵国視しており、イギリスとの戦争にはアメリカが出てくる、と声高に主張していた。
もしアメリカと戦争となれば巨大な海軍力が必要になる。こうして海軍は大量の予算を得ていた。

しかし国際情勢はめまぐるしく代わり、アメリカが石油禁輸に踏み切ると、石油の確保がどうしても必要となった。
そして史実では前述のように南方資源確保、資源輸送のシーレーンの安全確保とアメリカの石油禁輸を解くためにアメリカとの戦争はやむなしとの声が高まった。かつて米英可分を唱えてきた陸軍にも「米英不可分」の声が高まり、当時の東条英機首相もそれを支持した。

長年「米英不可分論」を主張してきた海軍。しかし本当にアメリカと正面から戦えば勝てるはずがない。
しかし、それまで散々予算をもらっておいて「アメリカとは戦えません」では許されない。

海軍としては本音ではアメリカとなど戦いたくなかったが、時すでに遅く、海軍は日米戦争の矢面に立つことになったのだ。

「米英可分」は可能だったのか

史実では米英は不可分という声の高まりからアメリカに攻撃を仕掛けたが、
あの当時、アメリカとイギリスを切り離し、イギリス・オランダのみと戦うことは可能だったのか?

当時アメリカは混沌としており、公にはドイツを敵対視していたが、国内にはドイツと同盟してソ連を倒せという声、同盟国イギリスを助けるため欧州大戦に参戦するべきだという声、欧州の戦争など放っておけという声など様々だった。
また当時の大統領フランクリン・D・ルーズベルトは戦争をしないことを公約に掲げていた。これでは相手が攻めてきた場合の防衛戦争はできても、こちらから戦争に首を突っ込むことはできない。

しかし、ルーズベルトが大統領でなくなったら、もしくは国民に戦争参加への機運が高まれば、アメリカの方から参戦もありえる。
またアメリカが「フィリピン沖で日本軍に商船を沈められた!」といったような事件をねつ造すれば、国民の対日感情を煽ることができ、十分な対日参戦理由になる。いくらアメリカとはいえ、当時の混沌とした国際状況ではそういった手も使ってこないとは限らない。

だが史実では、同盟国イギリスが欧州戦線で苦境に立たされても、イギリスとドイツとの空中戦であるバトルオブブリテンが始まってもでも、参戦すべきだという声はそれほど高まらなかった。

アメリカをスルーした日本が英蘭に戦争を仕掛けた時点でも、彼らを追い出し、南方からの石油をフィリピンの目の前の海で運んでいても、アメリカは日本に牙をむけることはなかったかもしれない。

だが、「アメリカは参戦してこないよ」という保証はどこにもなかった。
誰の保証もないのに、危険な賭けはできないのだ。
イギリスと戦っていては、対米戦争の準備などできる余力はない。そこにアメリカが横から攻めてくるというのは最悪のシナリオだった。

アメリカと正面から戦争しても、まともに勝てるとは思えない。だからと言って、最悪の事態も考えられる危険な賭け、アメリカをスルーするという方法は、当時の日本に採ることはできなかった。

もし「米英可分」のまま進んでいたら

歴史にIFはないというが、もし日本がアメリカを避け、イギリス・オランダのみと戦っていたらどうなるだろう。

史実においても、アメリカと戦う横で日本はイギリス軍とも戦い、海戦では当時世界最強クラスと言われた戦艦プリンス・オブ・ウェールズを沈めるなど大戦果を挙げ、陸戦ではシンガポールを陥落させ東南アジアからイギリス軍を駆逐することができた。
ここにアメリカがいないとなれば、結果はさらに大きく変わってくる。

アメリカと直接戦わないとしても、対米防衛力のため海軍力は分散されるが、史実でアメリカとの戦いに費やした多大な戦力を東南アジア・インド方面に展開できる。
するとビルマ(現在のミャンマー)、インド方面を経由するイギリス・アメリカらの中華民国援助の道・通称援蒋ルートを遮断でき、日中戦争も史実より有利に展開できることになる。

さらに史実ではあまり効果を得られなかったイギリス領インドへの攻撃もその力を増す。インドの独立、脱白人支配の声が高まればインド国内が混乱する。重要な植民地のインドが混乱すれば、イギリス全体が混乱してしまう。
イギリスはそもそもドイツとの戦争でかなり国力を消費している。
対日戦争が長期化・泥沼化すれば、耐え切れなくなって日独と講和するかもしれない。


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ただしドイツはソ連とも戦争をしていた。イギリスと講和しても、ソ連が結局史実のようにベルリンまで侵攻してくればどうしようもない。
だが日本もソ連との戦いの道を模索していた。
ソ連とは満州との国境問題で対立し、度々国境紛争が起きていた。さらにソ連はロシア時代から近代日本における一番の仮想敵国。こちらが先に打って出て叩いてしまえば、長年の問題が解決するのだ。
史実においてソ連はモスクワ目前に迫るドイツ軍を迎え撃つため、日本軍・満州国軍への防衛に充てていた極東方面軍を引き抜き祖国防衛に充てた。
これは日本が対ソ参戦しないと賭けての決断だ。
もし日本が対ソ参戦すれば、ソ連は東西両端から攻められるという最悪の事態を迎える。史実のように極東方面軍は首都防衛に向かえず、モスクワは陥落したかもしれない。
首都が陥落してもソ連はウラル山脈の東へ遷都し継戦したかもしれないが、東から日本が攻めてきていればそれもままならない。ソ連は対独対日講和し、そこに日独との戦いで疲弊したイギリスが講和に応じれば、日独は戦勝国となったはずだ。
戦勝国ドイツと日本、そして強大国アメリカ。三つ巴の三大超大国時代が訪れたのかもしれない。

しかし、たとえアメリカがいなくとも、イギリスはドイツに屈せず、ソ連も日独と泥沼の消耗戦を続けることも勿論考えられる。
そうなれば日独英ソの泥沼の戦争が長期化し延々と続き、彼らは疲弊し荒廃し、どこが勝つにせよ現在のように世界が発展することはなかったかもしれない。
アメリカと戦わなかったからと言って、必ずしも日本に良い事ばかりだとは限らないのだ。

歴史にIFはない。
しかし、日本が英米可分論の下アメリカを避ける道を選んでいたら。今の世界は大きく変わっていただろう。
そんな事を想像してみるのも面白いかもしれない。

(寄稿)ぬもくね

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